「20周年記念ペア碁大賞」エッセイ【ペア碁はあなたの人生を変えるかもしれない】

「20周年記念ペア碁大賞」エッセイ発表

ミヒャエル・マルツ & マニア・マルツ(ドイツ)

この小冊子はヨーロッパの世界ペア碁大会のイベントとドイツペア碁大会の歴史と伝統を紹介します。あなたはすでにご存知かもしれませんが、幾人かの人にとってペア碁はゲーム以上のものがあります。あなたに何が起こるか、もしもあなたがペア碁大会に参加したら、突然、新しいパートナーを見付けて、その人が碁以外のパートナーになるかも・・・

WMSGのペア碁イベントでの民族衣装

ヨーロッパのペア碁

ヨーロッパのペア碁は10年以上の伝統があります。この章ではヨーロッパ大会とヨーロッパのペア碁活動の概観を簡単にお伝えしましょう。

最初のヨーロッパ・ペア碁大会は、ジャパンウィーク開催中にアムステルフェーン(オランダ)で1997年に行われました。その週には、第1回戦と並行し、ショッピングセンターで100人の子供に碁を教えた安田泰敏氏(現在9段)の訪問もありました。すでに15カ国、16チームの参加があり、日本ペア碁協会理事、事務局長の滝裕子氏がトロフィーを優勝者に手渡しました。決勝戦では、ドイツのブリッタ・トレップチックとクリストフ・ギャラーがイギリスのカースティ・ヒーリーとマシュー・マクファディアンを破りノックアウト大会でのタイトルを勝ち取りました。カースティとマシューは何年も一緒にペア碁を打ち、数年前に結婚するまで長い間、お付き合いしていました。

1年お休みし、1999年に第二回ヨーロッパ・ペア碁大会がカンヌ(フランス)で開催されました。システムはマクマホンに変わりましたが、トレップチック/ギャラーがタイトルを守り、ヒーリーマクファディアンがまた2位に。

他のドイツペアのモニカ・レンペルとフランツ・ヨセフ・ディックフットは2000年のブルノに現れ、引き続きドイツが優勝。2位にはハンガリーのディアナ・クーセギーとガボール・ソビッチ。その後、ディアナは韓国で碁を勉強し、プロ棋士になりました。

2001年、バニャルカ(ボスニア・ヘツェゴビナ):
マルティナ・シモンコヴァとヤン・ホラが初めてのドイツ人以外のチャンピオン。

その後、幾度もヨーロピアン・ペア碁チャンピオンになったロシアのナターリア・コヴァルヴァは、Wodzilaw(ポーランド)で初めて現れ、パートナーのアレクセイ・ラザレフと2位に終わりました。この時に限り、タイトルは元ヨーロッパチャンピオンの父親、ティボールとリタ・ポチョイのハンガリーペアに渡りました。リタは14歳でヨーロッパ・ペア碁大会での一番若いペアでした。

出場者数の新記録は2004年のルーマニアでの大会の40ペア、そのほとんどが子供たち。優勝者はドイツのリザ・エンテとベンジャミン・トイベールに勝ったチェコのクララ・ザロウデコヴァとズビネック・ダッハ。

2004年ルーマニアでのヨーロピアン・ペア碁大会、20ペアの子供たち

エンテ/トイベールは1年後に調子が良くイギリスのメイデンヘッドでチャンピオンになりました。彼らは2位のマニア・リンドメイヤーとミヒャエル・マルツ(現在、結婚している)だけに負けました。初めてインターネットでライブ中継され、多くの碁ファンがパンダネットで生中継を観戦できました。

ヴォルガ川でタイトルを守った
コヴァルヴァ/スーリン

2006年、ペア碁大会はベルリンの有名なフンブルト大学を訪れました。アレクセイ・ラザレフと2003年に2位に終わり、ティムール・サンキンと3位になったナターリア・コヴァルヴァはパートナーをオレグ・メズホフに代え、ヨーロッパのチャンピオンに。ベルリンのペア、ダニエラ・トリンクスとマルコ・ファーンハーバーは42ペア中2位に。

ナタリアは、1年後のヴォルガ川のボートの上での大会で新しいパートナーのドミトリー・スーリンと再びタイトルを守りました。その時はロシアのホームグラウンドだったせいかロシア勢は2位と4位を占めました。12ペア中、1ペアは日本からのゲスト、7位に終わった武智晴美氏と小松ヒデオ氏。

ヨーロッパ・ペア碁大会の特別な催しの場所に2008年に選ばれたのは、コヴァレヴァ/スーリンがタイトルを守ったクラクワの歴史的な街の近くのジャパン・アートアンドテクノロジー・センター。選手たちは日本の伝統的なお茶会に招待されました。

日本の茶道

全部で30ペアが参加したが、どのペアもロシアペアの6連勝には近づけません。

ジャパン・アート・アンド・テクノロジー・センターでおしゃれをしたペア達

今年のヨーロッパ・ペア碁大会はプラハで行われました。再びコヴァレヴァ/スーリンは勝ち抜き、そしてジッカ・バルトヴァとヤン・ホラに勝ち、3連勝を果たしました。

3回続けてチャンピオンのナターリア・コヴァルヴァとディミトリー・スーリン

ヨーロッパ・ペア碁大会の結果、レポート、写真は
http://www.eurogofed.org/results/pairs/

ヨーロッパでのペア碁は、ヨーロッパ・ペア碁大会だけでなく他の古い歴史をもつヨーロッパ大会でも行われます。例えば、アムステルフェーンのヨーロピアン王座やロンドンオープン。特にペア碁はヨーロッパ碁コングレスでとても人気があります。過去2年間にはパンダネットがスポンサーになってくれたおかげでペア碁のイベントが増えています。

ダニエラ・トリンクスとリー・セング・ジェンがレクサンドでトロフィーを勝ち取った。

これらの大会はヨーロッパ国籍以外でも参加でき、プロ棋士でも参加できます。

フローニンゲンの優勝者:チャン・チェン・ピンとチャン・スィウ・ホン

言うまでもなく、ペアは同じ国籍(ヨーロッパの大会では)でなくてもよいので時々、アジア系とヨーロッパ人のペアも見うけられます。決勝戦まで行きそうになった韓国のプロ棋士と小さなドイツ人の男の子のペアやオランダ人男性と女装をした日本人のプロ棋士の試合は見ているだけでも楽しいです。

ヨーロッパ碁コングレスの雰囲気は通常リラックスしています。そして、碁コングレスのペア碁大会の選手たちはいつもとってもとっても楽しんでいます。そして、時々、コングレスでは碁を一緒に打つ新しいパートナーに出会い仲良くなっていくのです。時には国籍や文化の違う出会いも。

ヨーロピアン王座にて、ロブ・ヴァン・オリッチが盲目の妻、キムに最後の手を教える。
彼らには3人の子供がいる。

最後の2つのレクサンドとフローニンゲンでの碁のイベントはアジア/ヨーロッパペアのダニエラ・トリンクス(ドイツ)とリー・セン・ジェン(韓国)が2008年に優勝し、チャン・チェン・ピン(台湾のプロ棋士)とチャン・スィウ・ホン(オランダ)が2009年に優勝。

レクサンドでは知らない者同士がペアを組み2位に終わったが恋に落ちた:
プロ棋士のクレバヤシ・メイエンとアマチュアのマーク・ストアーが1年後に結婚した!

ドイツでのペア碁

1991年レジーナとマーティン・クエスト(夫婦)は東京で開催された第2回国際アマチュアペア碁選手権にドイツ囲碁協会により選ばれました。翌年にはドイツで「連碁予選大会」とよばれる予選がありました。9ペアが参加し、1992年の世界アマチュアペア碁大会の試合が行われました。ブリジット・オレンブッシュとフェリックス・シャデンドーフが接戦の後、優勝。現在で言うと初代ドイツ・ペア碁チャンピオンでしょう。

ペア碁現象は日本からドイツへ広がった。1992年のイベントの成功からドイツのペアが世界大会に出場するかどうかにも関わらず、ドイツでのペア碁大会は翌年から引き続き行われました。1993年から1995年は、男女ペアしか認められない「ドイツ連碁大会」として行われました。1994年の大会は6ペア中3ペアがほぼ同時に試合を終了。1996年には名称がやっと「ドイツペア碁大会」に変わったのです。

2000年:モニカ・レンペルとフランツ・ヨーセフ・ディックフットが
ドイツペア碁大会の2度目のチャンピオンとなる。

ペアの一人が初段以上、もう一人が5級以上でないとドイツ大会には出場できません。時々、ペア碁大会は、弱いペア同士や同性ペアのための連碁大会も同時に行われます。

ハンブルグでの2001年のドイツペア碁大会

初めてのパートナー、レジナ・クエストと共にフランツ・ヨーセフ・ディックフットは1993年にドイツのチャンピオンに。1998年から彼はさらに9回、新しいパートナーのモニカ・レンペルと出場。彼らは4回ドイツチャンピオンになり、2位は2回。2000年にはヨーロッパ・ペア碁大会で優勝しました。

1998年には、ドイツ人でないペア:ドイツに居住する中国人のジャオ・ペイとオランダ人のエミル・ニユスがドイツのタイトルを勝ち取り、最強のチャンピオンになったのです。その後、ジャオ・ペイはドイツ国籍を取り、フランスに移住。ドイツで育ったエミルは故郷のオランダに戻りました。

ドイツ囲碁大会のチャンピオン、ジャオ・ペイとクリストフ・ギャラー

ドイツペア碁大会には夫婦で参加するペアが必ずいます。1996年以来、ほとんどの大会は必ず1ペアは結婚しています(または後に結婚)。3人子供がいるカレン・ションバーグとベルンド・ラドマシャはここ7大会に出場し、合わせて8回出場。一番下の子供も大会に出場するようになりました。まだ、夫婦ペアが優勝した事はありませんが、マニアとミヒャエル・マルツ夫婦は、2005年に結婚する前と2008年に2位になりました。彼らの息子が今後、ペア碁大会に出場するか楽しみです。

今年の大会はソフトウエア会社のスポンサーにより2009年にプフォルツハイムで開催されます。ドイツペア碁大会の全結果はドイツ囲碁協会のHP:
http://www.dgob.de/meister/dpgm.htm

ペア碁は私達の人生を変えた。

それは2003年の春、ドイツペア碁大会がフランクフルトで開催された時でした。ドイツのルールでは、ペアの一人は5級以上、もう一人は初段以上。その頃、マニアは交換留学生としてスコットランドに住み、だいたい棋力は5級程度でありましたが、インターネット上の碁の先生とドイツのペア碁大会に出場したかったので必要なレベルに達する為に練習を重ねていました。それは彼女にとって初めてのハンディなしの大会でした。大会に11ペアが登録した為、主催者は偶数ペアにする為にもう一ペアを探していました。主催者は段の棋力の選手とペアを組む事を了承した5級の女性を見付け、ミヒャエルが丁度良いタイミングで男性選手として現れた。4回戦でのマニアペアとミヒャエルペアの対戦は必然的な出会いでした。(もちろん、マニアとパートナーが勝った)

サンクト・ペテルブルグ・コングレスにてマニアとミヒャエル。乾杯!

大会後、ミヒャエルはマニアにサント・ペテルスブルグの碁コングレスに誘い、併催イベントのペア碁大会に出場。それ以来、参加できなかった碁コングレスは1度だけ。それは、かわいいフェルナンドが生まれた年の2006年のイタリア。彼はまさにペア碁ベビーです

現在、私達はドイツ囲碁協会の役員として(マニアが秘書、ミヒャエルが会長)ドイツの囲碁普及に取り組んでいます。その頃、3歳のフェルナンドは碁盤に1、2石を取るために「花」や「亀の甲羅」を作り真剣に碁の勉強。

たまに、機嫌が悪くなり、両親の邪魔をするためにわざと醜いあひるの子の形を並べました。フェルナンドは2008年に北京で開催された国際アマチュアペア碁選手権大会のドイツ代表の両親の試合を観戦する為に中国に両親と一緒に参加しました。

「20周年記念ペア碁大賞」エッセイ発表トップへ

home