松田昌士メモリアル 第31回国際アマチュア・ペア碁選手権大会

松田昌士メモリアル 第31回国際アマチュア・ペア碁選手権大会

1回戦12月5日(土)2回戦~決勝戦、荒木ハンデ戦12月6日(日)

 

松田昌士さんに感謝を込めて

松田昌士メモリアル記念事業委員長

滝 久雄

ペア碁創案者
公益財団法人 日本ペア碁協会 名誉会長
文化功労者

写真1

 長年にわたって日本ペア碁協会の理事長を務められた松田昌士さんのお姿が、残念なことに今大会にはありません。今でも碁盤に向かう松田さんの姿がありありと浮かんできます。それは私だけではないはずです。あの個性的な早打ちの対局スタイルを懐かしく思い出している方もアマプロ問わず大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
 国鉄の分割・民営化の立役者の一人であり、JR東日本の社長・会長も務められた松田さんの功績は皆様もご存じの通りです。その松田さんがペア碁の普及の推進役として協力を申し出てくださったのは、私がペア碁を創案して間もないころのことでした。
 私は1991年に「ペア碁」を創案し、最初の大会「第1回 国際囲碁アマチュア・ペアトーナメント大会(現在の国際アマチュア・ペア碁選手権大会)」を開催しました。その大会でペア碁のゲーム性の高さを確認することができた後、より本格的な普及に向けて真っ先に相談させていただいた相手が当時JR東日本の副社長だった松田さんでした。
 私は松田さんに「ペア碁を応援してください」とストレートにお願いしました。私にとって松田さんは兄貴分といってもいいような存在で、松田さんが熱心な囲碁好きであること、そして私と同じように囲碁の普及を心から願っていることはよく知っていました。「女性が参加しやすいゲームを通じて囲碁ファンの裾野を広げていきたいのです」と私が夢中で説明する趣旨をすぐに理解し、全面的な応援を快諾してくださいました。

 1991年の第2回大会では、大会の意義に賛同してくれたJR東日本等の協賛が得られました。JR 東日本をはじめとする鉄道会社の応援はとてもうれしいことでした。大会の開催日が近づくと駅の構内や車輌内に数多くのポスターが掲出されたのです。毎日の通勤や通学、買い物等で駅を利用する多くの人が目にする交通メディアに告知を出してもらえたことが、誕生間もないペア碁の認知を大きく高めてくれたことに今もとても感謝しています。
 社会的な評価が高まる中、私はペア碁のさらなる普及のために財団設立を目指しました。内閣法制局長官等を歴任された吉國一郎さん、当時の日本棋院の理事長であった渡辺文夫さん、大蔵事務次官を務めた小粥正巳さん、会計検査院長を務めた矢﨑新二さん、文部事務次官を務めた岩間英太郎さんと國分正明さん、さらに岩本薫先生や増淵辰子先生といった方々の応援をいただき、1994年に悲願だった財団法人日本ペア囲碁協会(現在の公益財団法人日本ペア碁協会)を設立することができました。そして、吉國さんに初代会長に就任いただき、私のいちばんの相談相手であり理解者であった松田さんに副会長を引き受けていただきました。
 そのような基盤のもとで、プロ棋士ペア碁選手権の創設、世界ペア碁協会の設立、ワールドカップの開催など、ペア碁は目覚ましい発展を続けてきたわけです。そうしたペア碁の歩みを改めて振り返るときに、どの場面にもいつも松田さんがいてくださったことを思い出します。松田さんは様々な場面を通じてペア碁の魅力を熱心に紹介してくださり、新聞等に寄稿する際にもペア碁の話題を取り上げてくださいました。今では世界ペア碁協会の加盟が75か国・地域を数えるまでに普及していますが、これもスタート当初から力強く支えてくれた松田さんのおかげであると感謝しています。

写真2
松田前理事長と滝名誉会長(当時 顧問)に日本棋院よりアマ八段の免状贈呈。(2014年)
写真3
プロペアに挑戦企画での対局。中村智佳子さん・松田昌士前理事長ペア 対 小川誠子六段・石田芳夫九段ペアと、それを観戦する滝名誉会長(当時 事務局長・評議員)。(1997年)

 今年の大会は新型コロナによるパンデミックの影響を受けましたが、皆様のおかげで「松田昌士メモリアル」として開催できることを誇りに思います。来年は「ペア碁ワールドカップ2020ジャパン」の開催も予定されています。いずれの大会も素晴らしい結果を松田さんに報告できるよう全力で取り組みます。
 最後になりましたが、選手の皆様方のご活躍を心からお祈り申し上げるとともに、本大会開催にあたり、ご支援、ご協力を賜りました関係各位に心より御礼申し上げます。

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